大判例

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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)1128号 判決 1968年7月30日

控訴人 大巻太一(仮名)

被控訴人 東野照子(仮名) 外一名

被控訴人法定代理人親権者母 東野江利(仮名)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、被控訴人らにおいて、被控訴人東野照子は昭和二七年三月二八日に出生したものであるが、同年八月二〇日に出生したものとして同月二九日出生届をしたため、その旨旨

戸籍の記載がなされたものである、と述べ、当審における鑑定人松倉豊治の鑑定の結果を援用し、控訴人において、当審における控訴人本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実摘示のとおり(ただし、四枚目表一一行目の「供べた」を「述べた」と訂正する)であるから、ここに、これを引用する。

当裁判所は、職権で、被控訴人ら法定代理人東野江利本人を尋問した。

理由

一  その方式及び趣旨により真正な公文書と推定すべき甲第一号証(戸籍謄本)原審における被控訴人ら法定代理人本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証ならびに原審及び当審における被控訴人ら法定代理人東野江利本人尋問の結果によれば、右東野江利は昭和二七年三月二八日被控訴人東野照子を、昭和三一年一月三一日被控訴人東野輝男をそれぞれ分娩し、同人らをいずれも自己の嫡出でない子として出生届をしたこと、被控訴人照子については、その出生届に出生年月日を昭和二七年八月二〇日と偽つて記載したため、その旨不実の戸籍記載がなされたことが認められる。

二  そこで、被控訴人らが控訴人を父として生まれた子であるかどうかについて審究するに、前掲甲第三号証、原審証人原島とく子同浜中元子同加沼治雄(ただし後記措信しない部分を除く)の各証言、原審ならびに当審における被控訴人ら法定代理人及び控訴人(ただし後記措信しない部分を除く)各本人尋問の結果、右各本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証ないし第四号証、当審における鑑定人松倉豊治の鑑定の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

(1)  東野江利は昭和二一年に訴外沢田貞次と婚姻し、○○市内で夫婦生活を営んでいたが、昭和二四年四月頃右沢田と事実上の離婚をして別居するに至り、爾来沢田とは全く交渉を絶つたまま昭和二六年一〇月二日正式に離婚の届出をした。

(2)  右江利は、前記沢田と別居後しばらく○○市内に在住したが、昭和二五年三月○○市に移り、同市○○区○○町の原島とく子方で自前の芸妓として働くうち控訴人と知り合つて同年九月下旬には肉体関係を生じ、その後昭和二六年四月控訴人から同区○○町○丁目所在の家屋を買つてもらつて同所で芸妓置屋を営み、さらに昭和二九年七月同区○○○△丁目にアパートを建ててもらつてこれに引き移るなど、控訴人から生活上の援助をうけながら、爾来昭和三九年三月頃まで(ただし昭和二七年中に約一ヶ月、昭和二八年中に約三ヶ月、昭和二九年中に約五ヶ月の中断期間がある)控訴人と右の関係を継続し、その期間中に前叙の如く被控訴人らを懐胎分娩した。

(3)  控訴人は、被控訴人照子の出生に当つて、自己の名の一部と生母江利の名の一部とを採つて自らこれを「利子」と命名(その後姓名判断の結果出生届をする時には「照子」と改められた)し、かつ、被控訴人らの出生の際にはそれぞれ産着や祝物を持つて江利方を訪れ、出産の費用をも負担し、また近所へお礼のあいさつをするなど周囲に対して被控訴人らの父親として振舞つたほか、被控訴人らの養育費を月々江利に交付してきたのであつて、被控訴人らも成長後は控訴人を父と呼んで馴れ親しんできた。

(4)  控訴人と東野江利との間においては昭和二八年から二九年にわたつて数回別れ話が持ち上り、一時的にその関係を中断したことがあるが、右の紛議に関し昭和二八年六月二三日には両者の従来の関係を解消し被控訴人照子の認知請求権についてもこれを放棄することの条件のもとに、照子の将来の養育費として金八〇万円を控訴人から江利に支払う旨の誓約をなし、さらに昭和三九年三月二三日にも右同様被控訴人らの認知請求権放棄の代償として現金五万円と大井証券投資信託受益証券二八四口(一口額面五〇〇〇円)が控訴人から東野江利に交付された。

(5)  控訴人、右江利及び被控訴人らの四名の各種血液型検査の結果によると、控訴人が被控訴人らの父であることの確率は照子については九五パーセント、輝男については九四・八パーセントの高値となり、その他指紋検査の結果や写真作図法に基いて測定した顔貌相似度からしても、両者の間には父子としての関係(東野江利を母としての)が成立し得る十分の可能性があり、これを否定すべき何等の要素も存在しない。

以上のような事実が認められるのであつて、右の事実からすると、被控訴人らは控訴人を父とし東野江利を母として、その間に生まれた子であることを認めるに十分である。原審証人加沼治雄の証言原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、ほかに右の認定を左右するに足る証拠はない。

三、控訴人は、東野江利には同人が被控訴人らを懐胎したと認められる期間に他の男子とも情交関係があつた旨多数関係者の抗弁を主張するが、該抗弁が理由のないことは原判決がこの点につき説示するとおりであるから、右説示(原判決書五枚目裏八行目から十二行目まで)をここに引用する。この点に関する当審における控訴人本人尋問の結果もたんなる推測にとどまり、証拠となすに足りない。

四、さらに控訴人は、本訴認知の請求は権利の濫用であると抗争するので按ずるに、被控訴人らの母江利が被控訴人らの認知について控訴人にその請求をしない旨を誓約し、その代償として控訴人から被控訴人らの養育費その他の名義で数回にわたり相当額の金員及び大井証券損害信託受益証券二八四口の交付をうけていることは前段認定のとおりであるが、被控訴人らが父たる控訴人に対して認知を請求する権利は何びとにおいてもこれを放棄することができないものであつて、右認定の如き江利の行為があつたからとてこれがため被控訴人らの本件認知請求権の行使が権利の濫用となるものではなく、他にこれが権利の濫用に当るとの事実を認めるに足る証拠はないので、右抗弁もまた排斥を免がれない。

五、ところで、被控訴人らの母東野江利が昭和二六年一〇月二日前夫沢田貞次と協議上の離婚届をなし、昭和二七年三月二八日に被控訴人照子を出生したものであることは前段認定のとおりであつて、照子は母江利と沢田貞次との婚姻解消の日から三〇〇日以内に生まれた子であるから、民法七七二条の規定によつて江利の前夫たる右沢田の子、いいかえれば、沢田と江利との間の嫡出子と推定される関係にあり、一方七七二条の場合においてその子の嫡出性を否認しようとするには常に母の夫から嫡出否認の訴によるべきことが同法七七四条七七五条によつて定められているので、本件の被控訴人照子について、前記沢田からの右嫡出否認がなされないまま控訴人に対して認知を請求することが許されるかどうかが問題となる。そこでこの点について考えてみるに、当裁判所は前記諸規定にかかわらず被控訴人照子の控訴人に対する本件認知請求は許さるべきものと解するのであつて、以下その理由を述べる。

民法七七二条は夫婦間の具体的な生活事実の如何にかかわらず、もつぱら形式的な戸籍面に従つて、婚姻成立(婚姻の届出)の日から二〇〇日後または婚姻の解消もしくは取消の日から三〇〇日以内に生まれた子に嫡出推定を与えることとしたが、夫の行方不明・長期不在その他離婚の届出に先立つ事実上の離婚状態の継続など、長期間にわたつて夫婦の同棲が失われ、たんに戸籍の上にだけ婚姻の形骸が残つているような場合にまで妻の生んだ子を戸籍上の夫の子と権定することはいかにも不合理である。ただかかる子も形式的には民法七七二条の規定にあてはまる子であるので、一応はこれを嫡出子として扱うほかはないが、実質的には同条の適用をうけず(講学上のいわゆる推定されない嫡出子)、従つてその子の嫡出性を争うには民法七七四条以下の嫡出否認の方法によることを要せず、一般の親子関係不存在確認訴訟をもつて足るものと解するのが相当である。何となれば、民法七七二条は夫婦は正常の婚姻生活を営んでいる場合を想定しての規定であつて、このような場合に妻がたまたま夫以外の男子との性的交渉によつて子を生んだとしても、その子の嫡出性に関して濫りに第三者の介入を許すことになると、徒らに夫婦間の秘事を公けにし、家庭の平和をみだす結果になるので、かかる不都合を防がんがために民法が自らその嫡出性の否認の方法を制限したのが前記七七四条以下の規定の設けられた趣旨だといつてよく、このように解するときは、すでに夫婦間に正常な婚姻生活がなくなつてしまつた後は、右の厳格な嫡出否認制度の基盤が失われたのであつて、かかる場合にまで七七四条以下の規定を適用する必要はないわけだからである。被控訴の人母江利と前夫沢田との離婚届がなされたのは昭和二六年一〇月二日であるが、両者はすでに昭和二四年中に事実上の離婚をして爾来夫婦としての実態は失われ、たんに離婚の届出がおくれていたというにとどまることは前段認定の事実によつて明かなところであつて、照子はまさに上述した実質的には七七二条の推定をうけない嫡出子に該当し、従つて前記沢田と被控訴人照子間の親子関係の不存在については利害関係人から何時でもこれが不存在を主張してその確認を求め得るのである。そうだとしたら、この場合照子はあえて前記沢田からの嫡出否認をまつまでもなく(本件の照子は現在母江利の嫡出でない子として戸籍に記載されているのであつて、このように戸籍上母の非嫡出子として届け出られている子に対して、直ちに母の夫からする嫡出否認権の行使を認める余地があるかどうかも大いに問題であるが、この点には触れないこととする)、自ら進んで沢田との父子関係を否定し、控訴人が自己の父であると主張して認知を求めることができるものというべきである。

以上説明のとおり、被控訴人らの控訴人に対する本件認知請求はいずれもその理由があり、これを認容した原判決は相当で本件控訴は理由がない。

よつて、本件控訴を棄却し、控訴費用は敗訴の当事者である控訴人に負担させることとして、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 小石寿夫 裁判官 宮崎福二 裁判官 館忠彦)

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